SEVEN

「スタジオ緑屋7」を聞いているぼくらが、取材し、編集した新聞です。
SM7をより楽しく聞くためにお役に立てば幸いです。

#1 1971/ 7/ 7

#2 1971/ 8/20

#3 1971/ 9/17

#4 1971/10/16

#5 1971/11/ 1

#6 1971/12/ 7

#7 1972/ 1/ 1

#8 1972/ 2/22

#9 1972/ 3/ 5

#10 1972/ 5/ 7

#11 1972/ 6/ 1

#12 1972/ 6/30

#13 1972/ 7/24

#14 1972/ 9/20

#15 1972/12/18

号外1,2 1972/3




我が心のTBCに戻る

初めて見たSM7

私が、SM7のスタジオを初めて見たのは、高校1年の6月20日火曜日でした。帰りのバスに乗り遅れた私は、暑さを避けるために、冷房の効いていた緑屋に入り、店内の品物を見ながら、上へ上へと昇っていきました。 と、音楽が聞こえてきました。耳を澄まして聞いているとやがて、にぎやかな話し声も一緒に聞こえてきたのです。どこかで聞いたような声でした。私は、その声の主を確認すべく階段を昇りました。 7階までやって来た時、私の目に映ったものは、ガラス張りの小さな室にDJが2人(安田、高橋アナ)いてそれを取り囲むかのように集まっている若者達でした。それを見た私は即座に驚きでいっぱいになりました。 「これがSM7のスタジオか!」見ると聞くとは大違い、それは本当に簡素なスタジオでした。「でも、このスタジオから発信される電波がその波に若者の夢と希望を乗せて出ていくのだ!」とおもうと、このSM7にかけられている期待が大きいものであることに気が付きました。(E.O)

ぼくが初めて行くにあたっては、はじめなかなか、はずかしくて行けませんでした。なぜなら、それは、ある一定の音楽ファンだけの行く所だと思っていたからです。 でも、それはぼくの単なる思い違いでした。なぜなら、そこは、単なる音楽や話題などをやるだけではなくて、若者同士のいろいろな対話場所でもあったからです。これが、その時感じた事ですが、その時の司会は、安田・竹田(当時名海老名)アナでした。 この2人の司会者は、ぼくに音楽に対する興味を与えてくれたんです。とにかく、何でもいいからといわれたので書きました。乱文ですみません。(A.H)

SM7ファンの集い

今回は、SM7ファンの集いの1回目からの様子を書こうと思う。
※第1回S44.9 内容を北村チーフの話を参考にして書くと、そのころはロックが全盛だったので、出演したアマチュアバンドの多くは、ロックバンド。ロング・イヤーズ・アフターというグループは、テクニックもいいけれども、音が物凄くて、ワァーッという音と共に演奏が終わったかと思うと、 会場は唖然としてしまい後が続かなくなってしまったとの事。他に、安田立和の7劇場、スタッフと会場のみなさんとの美しいハーモニー、チャリティーオークション、etc.
. ※第2回S45.3 ワキにワイたファンの集いだった。スタッフと会場のみんなが一体となって、「歌を歌おう」というとワーァと歌い、「やりたい人」と言うと、ハイハイと積極的に参加した。ゲストのソルティーシュガーも「ああ大学生」などを歌っていたけれども、何と言っても、 メインと言えば、7劇場。安田さんが、ない知恵をしぼって作ったシナリオで、会場に集まった有志がステージで、おもしろおかしく演技をする。「ムサシとオツウ」だった。演技中会場は笑いでイッパイでした。上記のように最初から最後まで、ノリッパナシでした。
※第3回S45.9.15 北村チーフの日(敬老の日)。ゲストは前回と同じく、ソルティーシュガー。アマチュアバンドが多数出演し、ミューズなんていうのが人気があったようだった。又、松田さんが率いる、SM7sというグループも出演。松田さん率いるにしては、大変うまく、驚いたりもした。 気で作られた車をひきずって行き、女性アナを、誘惑するというゲームもあった。うまく言い訳を言ってなかなかさそいにのらないアナもいたが「何かあげる」というとすぐのったり、結局全員、車に乗せることができた。この車、演技中に壊れたり、ボロが出たり、ヒッチャカメッチャカでした。 この時も、「走れコータロー」などを合唱した。
※第4回S46.3 この時は、アポロが月に行き、人間が月に行けるようになった時で、その影響があってか、この場面が登場した。ゴム長靴に銀色のペンキを塗ったり、宇宙服に似せたものを着て、俗に言うカンガルージャンプをしたり、月の石の採集を見せてくれたり、引力が地球の1/6の月の様子を再現していた。 宇宙飛行士にふんしていたのは安田立和・松田健一アナだったのです。この時、月の面にあったのは、石でなくこんにゃくやユデ卵、ゲタetc、スタッフとして初参加の平野勝男アナは、怪獣にふんしたが、全然こわくなかたようだった。又、「カツオのひらき」と題して平野アナのオカリナ独奏がひろうされた。 出る音は変な音ばかり。しかし、真剣に吹いていた。終わると、会場から割れんばかりの拍手と歓声が上がった。ゲストにははしだのりひことクライマックスが招待された。この時、SM7ファンの一人の詩にはしだのりひこが即興で曲をつけて紹介した。それが今度レコード担った。それはSM7ファンにとってうれしい事です。その他CMコンテスト、7劇場等
※第5回S46.9 今までは、電力ホールで行われていたが、この回は広い広い西花苑で行われた。まだ記憶に新しい人も多いと思う。あの小雨の中、頑張ったファンの集いです。今までは狭かったせいか、大がかりなゲームはできなかったが、この時は、すばらしいゲームを見ることができた。 それは「卵投げ競争」です。落とせば割れるあの卵をどれだけ遠くから投げた受けることができるか。この時は15〜18mが最高だったと思う。ロックバンドも出演していたが、あまりの広さに音が吸い込まれて、蚊の鳴くような音になってしまったのが残念でした。クライマックスと言えば、ファイアーストームでした。 点火ランナーは何と言ってもスタッフの中で一番足の長い松田健一アナ。松田アナは「アツイ!アツイ!」と言いながら走ってきたのです。上記のように大変有意義なファンの集いだったのです。困ったことに帰りぎわに、雨が強く降って来たのです。雨は降るし、バスは来ないし---お陰で風邪をひいた人もいたのでは(?).....
上記が過去5回のファンの集いの様子です。今回はもっと楽しいファンの集いになると思います。(K.S)

SM7に望む

  この前、僕はサテスタへ行って来ました。サテスタへは、めったに行けませんが、この前の土曜日に行って気になったことです。一番前に行ったせいかもしれません。本番30分前、これは毎日同じだと思いますが、サテスタ前に来ている人たちがリクエストして何曲かレコードがかかるわけですね。 そのレコードのかかっている間、2人のアナウンサーと2人の女の人4人で何やら楽しそうにガラスの向こうで、大口をあけて笑っているではないか、気になる---他のアナウンサー達はどうかな?みっともないですよネ。まるで八木山の山から来たタヌキじゃなくてチンパンジーみたい。 大口をあけて笑ったりしているのもいいですが、放送のスケジュールを立てる「ふり」でもいいからおとなしくイスにこしかけていてもいいと思いました。(H.K)

  SM7の日曜日担当のDJ様方にひと言。去年までは、次の週にやる特集を教えていたけど、今は、その日になってみなくちゃ何をやるか全然わからない。去年のように前の週から「次の特集は◯◯です。」と教えてくれれば、ハガキだってドッサリくると思いますよ。
  次にリクエストと同時に◯◯さんにプレゼントというハガキも沢山来ると思うのです。毎週聞いていても、あまりプレゼントする人への名前は、読んでくれませんよね。「せっかく胸の内を、うちゃあけたのに読んでくれないなんて.....」思っている人だって沢山いると思うんです。プレゼントする人への名前は必ず読んでください。

「赤い鳥」

「赤い鳥」と言えば、みなさんも知っていると思いますが、みなさんが知っている範囲では、「赤い鳥」は何か静まり返ったグループと思っている人が多いんじゃないかと思いますが、そんなのとは反対でけっこう明るいというか、おもしろいというかそんなグループです。 特にメンバーのうちで山本という人はたいへんにおもしろい人で、コンサートの中でも一番ふざけた態度で場内をわかせました。TVなんかでは、女性ばっかりクローズアップされていますが、他の男性3人が目立たないのは非常に残念です。「赤い鳥」は昭和44年のライトミュージックコンテストで堂々優勝しています。 メンバーみんながボーカルを担当していて、コーラスはフォークシンガー中一番と言っても良いでしょう。でもウッドベースその他は良いのですが、生ギターは技術面で少し他のグループと比較しておとるんではないかと思います。さてそろそろ「赤い鳥」今までの生い立ちからいきたいと思います。 今から二年程前、尼崎の武庫荘という町の赤い屋根の家から毎月一回必ず若々しい歌声が聞こえてきたそうです。それはリーダーの後藤悦次郎と、高校の同じ平山泰代がフォークの愛好会の中心となって開いていたそうです。まもなく他のグループとして応援に来た山本俊彦と新居潤子が加わり、 それから一年後大川茂が入って「五つの赤い屋根」というグループとして演奏を続けたそうです。「五つの赤い風船」ではありません。そうこうしていうる内に色々なバンドが集まり「赤い屋根の家」という名はコンサート全体の総称になってしまいました。それでYLMCの申し込みを景気に自分達の名前をつけたそうです。 その当時は、日本民謡、わらべ唄を中心に歌っていて、社会的環境を背景とした近代童話童謡雑誌「赤い鳥」にヒントを得て『赤い鳥』としたそうです。
注:文中に赤い屋根の家がありましたが、三月に新曲として出るものです。大変にいい曲です。みなさん、赤い鳥に期待しましょう。(K.A)

SM7 FLASH DISK

2/20〜26   Rock And Roll Lullaby /B. J. Thomas
2/27〜3/4  Round About /Yes

Cash Box

1  Without You/Nilson
2  Hurting Each Other/Carpenters
3 Precious & Few/Climax
4  Let's Stay Together/Al Green
5  Down By The Lazy River/Osmonds
6  Joy/Apollo 100
7  Lion Sleeps Tonight/Robert John
8  Everything I Own/Bread
9  American Pie/Don McLean
10 Sweet Seasons/Carole King
11 Never Been To Spain/Three Dog Knight
12 The Way 0f Love/Cher
13 Heart Of Gold/Neil Young
14 Bang A Gong (Get It On)/T. Rex
15 Don't Say You Don't Remember/Beverly Bremers
16 My World/Bee Gees
17 Day After Day/Badfinger
18 Floy Joy/Suprenious
19 Anticipation/Cariy Simon
20 Stay With MeFaces

編集後記

 今年の冬は休みボケのように暖かい日が続いた。しかし、私はこの新聞を生きがいとしている(?)ので、一生懸命原稿を書くのに努力した。(K.S)

 締め切り日が非常に早かったので苦労した。もう少しゆとりが欲しかった。(T.A)

 今回はじめてセブンの編集に参加したが、編集部員はみんな明るく、ファンの皆さん、どんどんこの新聞に寄稿して欲しい。(K.A)

 今迄では一番短い期間に出来た新聞だけれども、一番多くの人のてによって作られたことはうれしい。これからは、もっと大勢の人の「7」にしていきたいと思います。(H.N)