SEVEN

「スタジオ緑屋7」を聞いているぼくらが、取材し、編集した新聞です。
SM7をより楽しく聞くためにお役に立てば幸いです。

#1 1971/ 7/ 7

#2 1971/ 8/20

#3 1971/ 9/17

#4 1971/10/16

#5 1971/11/ 1

#6 1971/12/ 7

#7 1972/ 1/ 1

#8 1972/ 2/22

#9 1972/ 3/ 5

#10 1972/ 5/ 7

#11 1972/ 6/ 1

#12 1972/ 6/30

#13 1972/ 7/24

#14 1972/ 9/20

#15 1972/12/18

号外1,2 1972/3




我が心のTBCに戻る

「7」も第7号を出す事が出来ました。これからも、もっと楽しい「7」を.....と思っています。どうぞ、よろしく!

  あれは、5月の初めだったと思います。「機関誌のようなものはつくらないんですか?」ときいたところ、「そのような話はあるけれども、 実際色々な問題があって今は、無理だ」とのことだったので、「ボク達が編集して新聞を作りたい」と言ったところ、「じゃ、サンプルを作ってみてくれ」 ということになりました。サテスタへ集まって話し合いました。また山へ行って、スタッフと話しました。新聞の記事に使おうと思って資料を見ていたら 「これは見せられないんですよ」とお説教も食らったりしました。やっと、7月の初めに輝く第一号が出来ました。 ボク達には、とても楽しかったという記憶があります。今、7号が発行され、よくここまでやってこれたなーと思います。これもSM7の協力あってこそ.....(K.S.)

今日は.....

こんにちは、SM7ファンの皆さん。私達は高校二年の女の子ちゃん3人です。なぜ私達がここに登場したか、これが問題なのであります。
私達は、SM7ファンの一人なのであります。それで時々かよっていました。11月21日だったでしょうか。私達は、サテスタに行って、なにげなーく、 第5号、「7」をみたのでありました。そこではたと目にとまったのであります。「--急募--編集スタッフが足りなくて困っています。誰か手伝ってください」 というような記事でした。そこで、私達は、さっそく松田さん(皆さんもよく知っている松田健一氏です)に、その日のうちに申し込んだのです。それから1週間、何の連絡もないまま過ぎたのでありましたが、27日、何の前触れもなく電話が来たのでした。電話で、サテスタで会うことを約束しました。
サテスタで、千明ちゃんに編集スタッフの方々を紹介されて、初めて顔を合わせ、そこで話が成立し、ここに私達が登場したのであります。 そこで、私達は、初めての仕事を得ました。それは、私達のこれから新聞を作るに当たってのほうふということでした。 ほうふほうふといいましても、色々なほうふがあるのでございますが、これから、私達が書こうとするほうふは、この抱負なのです。まず、おちついてきいてください(?)
今まで編集にあたっていらっした方々と、協力して、よりよい、そしてSM7ファンの皆さんに楽しんでいただけるような新聞をつくりたいと思っています。 以上が3人の抱負です。今までの編集スタッフ同様に、私達3人もよろしくお願いしまーす。
ところで、みなさんは洋楽と邦楽どっちが好きですか?私達はどちらかというと邦楽の方が好きです。なぜ(?)って、それは邦楽は簡単に口づさめるでしょう。 でも、洋楽も好きですよ。あのダイナミックな歌い方は、聞いている私達を自然に夢中にさせてしまいます。これは、私達の意見なのですが、みなさんの意見も聞かせてくださいませんか?
私達は、みんながSM7に対してどう思っているのか聞いてみました。ある意見では「役に立つ(テレホン・トーク)」「ファンの集いをすると、多くの人たちと接することができるので、 もっと回数を多くしてほしい。」「フォークや邦楽をたくさんかけてほしい」ということでした。「同じ曲ばかりかけている」「つまらない」と言う人もいました。 司会者の方々に努力してもらいたいと思います。いろんなことを長々と書きましたけれども前に言ったように、みなさんに親しまれるよう記事を書きますので、よろしく。

SM7に希望する

別に、これといった大きい希望はないのですが細かいことは沢山あります。
1.同じような時間帯に同じ曲がかかることがある。4時頃にかかって、SM7でもかかるとか、5時半からかかる(これは、どうしようもないけれど)といったことがあるので、SM7では特徴のある曲をかけてほしい。 たとえば、その辺でやっているヤングのアマチュアバンドの演奏を録音したりして放送してほしい。
2.昨年の11月12日だったと思います、レコードプロデューサーの加藤さんという人がSM7 に招かれ、「音楽について」という題で、サテスタ前に集まったヤングと討論形式で番組が進められていった。 このようにサテスタ前に集まったヤングが一つの問題について話すというような参加する企画というのが少ないと思うので、これからは定期的にこのような企画をもっとやってほしいと思います。 「ロックについて」「フォークについて」とか、ヤングに感心のあることだったら何でもいいと思います。
3.このごろの番組は、曲をかけて、ハガキを読み、こぼれ話を話すといったものが多く番組に個性がなくなってきていると思う。個性を出すのは大変だと思いますが、がんばってほしいと思うのです。 勿論、ボク達も協力しましょう。(ぼくは、SM7に個性があると思うのです。たとえば、フラッシュ・ディスクや、「ビートルズ」や学校自慢などは、そのよい例だと思います。)
色々と、SM7に対する希望をあげましたが、スタッフだけでは出来る番組ではないと思います。ボク達が協力して、はじめてよい番組ができると思います。

うすよごれたなり
薄汚形四人合唱合奏団

 まず、モップスのメンバーについて.....
※鈴木博三(リーダー・リードボーカル)歌は、あさエリック・バートンにしびれてから始めたそうです。好きなアーティストは、エリック・バートンとジョン・レノン。 24才。武蔵大学経済学部を2年のまんまで、休学してたら、この間クビに鳴ったとか。
※星勝(リードギター・ヴォーカル)仙台出身。ステージでも、時々、仙台弁をご披露します。好きなアーティストは、スティーヴィー・ウィンテッド。 (モップスのオリジナルは、ほとんどこの星さんが作曲しています)。24才。芝浦工大土木科2年のマンマ。
※スズキ・ミキハル(ドラムス)博三の弟とか言う話。好きなアーティストが、ジンジャー・ベーカー。22才。青山学院大学経営学科3年。
※三幸太郎(ベース)モンスターグループの異名を持つモップスの中では、まだ顔が見られる方。好きなアーティストが、ジョン・ポール・ジョーンズ。21才。浦和商高中退。
モップスのサウンドは、デビューの時から聴いていると大分変化している(現在進行形)。ホリプロの社長がサンフランシスコに渡った時ジェファーソン・エアプレーンを発見。 彼らのサイケデリックサウンドを持ち帰る。1967年、モップス、ビクターよりデビュー。サイケデリックサウンドへの好奇心で20万枚売れた。しかし、2枚目、3枚目は全然売れず。 69年、突如、東芝エキスプレスより再登場。「眠り終えイエス」70年5月、東芝リバティーへ移籍。向こうの曲をモップス風にアレンジ。しかし、ここで博三は考えた。 「しょせん、日本のバンドは、向こうの曲のコピーじゃ本物に勝てない。僕達は僕達のオリジナルで勝負しなきゃ」アワ(阿波orOUR)ロック「御意見無用」「月光仮面」、 LP「御意見無用」登場。註:「森の石松」は柳の下のどじょうをねらった作品。
モップスが、今、やろうとしているのは、ロック、フォーク、歌謡曲の区別をなくした「モップスの世界」を作ろうとしている。その第一弾が、去年8月の「モップス太平記」とにかく、モップスのこれからのサウンドに期待しましょう。  終

LP評「雷舞モップス」
LTP-9043

  「月光仮面」のヒット以来、意欲的な活動を続けているモップス、(なんか、コマーシャルにでたり、どこかのテレビ番組にでている人もいるけど.....)
彼等の今回のアルバムは大阪中ノ島公会堂の実況録音盤。そう、ライブなのです。LIVE、雷舞。

まず納められている曲名を.....A面 1.抱きしめたい 2.愛しておくれ 3.愛してあげよう B面 1.ニューヨーク1963〜68 2.月光仮面 3.年老いた娼婦の唄う歌
A1はポール・マッカートニーが作曲したんですが、モップスが曲を完全につくり変えた。これはもう、アレンジなんて生やさしいもんじゃないのです。とにかくすごいのです。
このアルバム、聞けばわかると思いますが、録音状態が非常に悪いのです。会場が古くて、音響効果が悪いためだと思うのであります。
それに、曲の紹介、B2はともかく、他は全然なっていないのです。
もう一つおまけは、会場のふんいきといおうか、熱気というものが、もう少しほしいのです。
とかなんとか、文句は、あるけれど、とにかく楽しいアルバム「雷舞モップス」なのです。   (A.S)

この音楽のコーナーで、グループなどを紹介していますが、みなさんに、個人や、グループまたは、LP評を書いてほしいと思います。お寄せください。(日本のグループ、外国のグループ、歌謡曲、ポップス、ロック.....フォーク何でもかまいません)できるだけこの欄で紹介していきたいと思っていますので.....
SM7 FLASH DISK
12/6〜12  American Pie  Don Mclean
12/13〜19 I'd Like To Teach The World To Sing  Hillside Singers
12/20〜26 Day After Day  Badfinger
12/27〜1/9 (年末・年始特別番組のため休み)

Cash Box

  只今、急上昇!(赤字)1/1付
1 Got to be There  Michael Jackson
2 American Pie  Don Maclean

3 Brand New Key  Melanie
4 Cherish  David Cassidy
5 Family Affair  Sly & Family Stone
6 All I ever need is you  Sonny & Cher
7 Scorpio  Dennis Coffey
8 Let's Stay Together  Al Green
9 Hey Girl  Donny Osmond

10 An Old-fashoned Love Song  Three Dog Night

SM7スタッフに聞く
『今年したい事は』

高橋千明氏

だれが、いつ、どこで、どんな時に聞いても「楽しい番組」放送上理想のような言葉ですがSM7は、そう呼ばれるよりも、聞く人に「個性のある番組」と感じてもらいたいですネ。 「個性」他のものとは違うこと。平凡ではないこと。その個性を目指して、今年1972年を歩んでいきたいのです。
SM7は一週間7日、1年を通じて365日、まったく止まることを知らず流れ続けます。今年はうるう年だから366日。1972年は担当者もラジオの前のみなさんも、個性の創造と発見と参加が一日多いことになるわけです。
さて、その「個性」なるもの、人によって受け取り方や感じ方が違うし、とても抽象的ですから、非常にむずかしいのですが、30分の中にキラリと輝く1秒1片が、私にもあなたにも、感じられるのなら などと思うのです。
昨年、SM7に在った言葉「愛のぽえむ」「ビートルズ」「テレホン・トーク」「仲の瀬橋」「古川」「今晩は」他いろいろ。私が思い出す言葉とあなたがだが思い出す言葉と同じものがあって、違うものがあって、それが一年を作ってきたのです。 今年1972年も、どうぞよろしく!!
一緒に頑張りましょう。

平野勝男氏

夢を描けば、どんどん大きくなり、SM7がそれだけ手元から離れていくと同時に、それだけ無限の可能性を持っていると言えるのでしょう。 又、無性格になることもあり得るわけです。僕の考えでは、やっぱり個性するSM7でありたいと思う。以前、僕は、この世から葬り去られていくものに愛着を覚えると書いたり、言ったりしたことがあります。 春の息吹を響かせる草花から、秋に羽をぶつけあって飛んでいたトンボ、又、ホタル等。自然がはぐくんだ人間が、自然を変え、そして、自らの生活を変えていく中の私は、一抹のさびしさを覚えます。 私はSM7の番組を利用して私の足元からはなれていくなつかしきよき物を引っぱり出したいと思っています。ところで、72年1月から、SM7、平野・千明組は、3日担当になります。 曜日は、日、月、火です。又又よろしく。

竹田真理子氏

今年やってみたいこと.....と言われても困っちゃうな。一生のうちで一番やりたかったことを、幸か不幸か、去年やっちゃったもんですから。ホッとして、今のところ、それ以上のことは何も、浮かんでこないし、考えられないの。 今年は、せいぜい誰かさん(?)の為に一生懸命つくそうと思っています。
.....どうして、私はこう現実的なことしか言えないんでしょうね。売れ残らないですんだ安心感からでしょうか。それとも幸福すぎるからでしょうか.....アラ!!新年早々ごめんなさいね。 今年も、仲良く楽しく(番組の上でも、プライベートな面でも)やって行きたいと思いますので、皆さん、どうぞ宜しくお願いします。

安田立和氏

性急な僕が、のんびり屋の僕に言うのです。「お前はこの4月で丸5年だぞ。ボボャーとしていないでもっと勉強しなけりゃ駄目だよ。アナウンサーは3年で1人前だと入社の時言われたじゃないか。 その時はお前も、ヨシ、ガンバルゾーといっていたじぁないか。3年はおろか、5年だよ5年。ボツボツ区切りをつけてもいい頃じャないか?」
すると、のんびり屋の僕も性急な僕にやり返すのですよ。「3年だの5年だのウルサイゾ。大体区切りといったって、中途で辞めるわけじゃあるまいし、お前の言いたいことはわかっているんだよ。 今日に至るプロセスおば振り返り、考え、ね、俺の行く道の方向とか目標を自分の中で整理し直せということだろう。わかっているんだよ」
すると、再び性急な僕「わかっていながら何故やらない。行動に移さなければ、わかっている事にはならないと言った人がいたじャないか。5年だよ5年。基礎力養成課程は終わったのだよ。 実力養成課程に進まなくちゃ、だってお前、放送自由自在応用課程がその先にあるんだぞ。もう少しなんとかならないか?」
再びのんびり屋の僕。「お前ナニを焦って。焦るとロクなことはないよ、ホント。3年で一人前だとか5年だとか、誰がそんなことを決めたんだよ。ちいさくまとまったってしょうがないじゃないか。 さっきお前、受験時代みたいなことを言ったけど、それは俺だって応用課程迄行きたいし、行くつもりだけど、応用家庭に入ってどうやら一人前じゃないか?基礎力養成だって3年や5年で済むのか?何時からお前そんなにえらくなった。 基礎力養成課程は終わったなどと、お戯れを。自分で本当にそう思っているのか?そうだとしたら、お前の面倒なんかコンリンザイみないよ」
性急な僕がかなりしつこく出て来て、「それは、お前の言うことにも一理ある。しかしだね(しかもカシコもあるもんか)途中で余計なことを言うなよ。 英語で言えばButだよ。小さくまとまるということはよくない、そうなりたくないということはわかる。だがしかし(またしかしか。その菓子は甘いのか?)また余計なことを言う。 それにしてもお前、少しまとまらなすぎると思わないか?そうやってのんびりやっていれば、大きな人間ができるというのか?お前自信がないんだろう。この前放送中、椅子もブッケられたしな。 (これが本当のブツケ本番)お前ね、頼むからやめろよ。SM7を聞いているのはティーンエイジャーばかりじゃないんだよ。家庭じゃ奥さんが夕食の支度をしてるんだよ。 サラリーマンやOLは疲れて帰路にあるんだよ。その人達のことも考えてあげなくちゃ」
のんびり屋の僕です。「わかってるよ、わかってる。本番中だってお前何度も言ってるじゃないか。とにかく、5年になるのは事実だし、俺だって頑張っているのだよ。 お前は俺、俺はお前じゃないか。一緒にやっていかなくちゃならないでしょう。こうしてお前と話し合う気になったのも、一生懸命やらなくちゃと改めて手綱を締めてと思ってのことじゃないか。 5年は俺だって全く意識してない訳じゃないんだよ。まあ、とにかく今後もガンガン言いたいことをいってくれ。俺もお前に.....なんていったて一番腹を割ってはなせるんだから遠慮しないしな」
最後に性急な僕が、「すぐまとめようとしてズルイんだよ、お前も。考えてみればお前も小さくまとまってるんじゃないか?まあいいや。若いんだから、ガンバロウ!!

小野美樹枝氏

SM7は、みんなの参加によって作られて行く番組として、皆さんと一緒に大きくなってきました。この「一緒に」という性格を、もっと積極的に生かす役目として、今度は、我々スタッフの方から、マイクを持って、皆さんの生活に飛び込んでいける企画を考えています。 スタッフが、学校や貴方のお友達の所へ押しかけて、自由なお喋りをしてもらうんです。我々では伝達し得ないニュアンスを、貴方の声で、貴方のコトバで表現してもらえたら、この番組に、欠くべかざる「若さ」というキャラクターを、もっと、もっと生かせるような気がします。 さて次に、遠大なる遊びの計画を.....この番組のファンの集いも5回を数えました。毎日いろいろと趣向を変えて、皆さんに楽しんで頂けるものを、と一生懸命ですが、今度は、放送を離れた集いを持てたらナーと思っています。 「行こうヨー、心ウキウキピクニック」という訳で、みんなで、おにぎりを持って、どこか空気のおいしい野山へ出かけるんです。私の作ったおにぎりを、誰かのと取り替えっこをして、ご飯炊き上手なところ(?)を、みてもらったり、小鳥の声を聞き乍ら、恋の悩みを打ち明けあったり .....こんな中から、何か、新しいコミュニケーションが生まれそうな気がするんです。如何ですか?いずれにせよ、一日、一日、一つ一つの企画の中にも、「一つの声を大切にした、大勢の方に聴いていただける番組」という性格を生かして行ける様に頑張ります。 1972年、今年も、どうぞ、よろしくお願いしまあす!!

松田健一氏

1972年、1月1日、今日は僕の誕生日です。まだ、プレゼントの済んでいない方は、お早めにどうぞ。この番組を担当するようになって、2年3ヶ月、サテスタに足を運んだ回数はおよそ260回、よくまあ、こんなに長くやらせて貰ったものと我ながら感心する次第です。 SM7のお陰で、沢山友達ができました。今年も、みなさん、よろしくお願いします。「みんなで作るみんなの番組」をもっといいものにしていく為には、みんなの力が必要です。重ねてよろしくお願いします。
さて、SM7ファンのみなさん、今年はどんな正月を迎えたかあ?寝正月?徹夜正月?彼女(彼氏)と初詣?何はともあれ、正月早々、食べ過ぎでおなかをこわしたり、風邪を引いて寝込まないように気をつけましょう。 今年、難関を控えている方も多いことでしょう。
「窮鼠、猫を咬む」という諺がありますが、準備万端整った後は、若さとバイタリティーでぶつかっていきましょう。僕も今年こそ、馬鹿さとバイタリスで、何事も体当たりで行こうと思います。 不言不実行型から有言実行型に大きく脱皮するつもりでいます。
そういう意味で、今年のSM7にかける夢は、ファンのみなさんを中心に企画委員会を作ることです。みんなで、色々な問題について、ディスカッションしたり、情報を提供しあって番組を作ってゆくのです。 現在は、毎週土曜日「広場・サテスタ」というタイトルで、色々なことをやっていますが、これに企画委員会を組み合わせていく訳です。みんなの中から出てきたアイデアを、どんどん番組の中に反映させたいのです。 SM7は誰でも気軽に参加できる番組です。番組への参加と言うことを肌で感じられたら最高の年といえるでしょう。(限界があるかどうかわかりませんが)
最後に、オネガイ。ミナサン、SM7ヲ、モット モットキイテチョウダイ。サテスタヘモ、ドンドンアソビニキテネ。マッテマス、イツデモ、イツマデモ!!
今年は、もっとよろしく。

北村さんは仕事で忙しいそうなので、後で書いていただいて乗せたいと思います。(7)

今年の『7』

去年「7」を作り、今回で第7号。女っ気が全然なかった、この紙面とも、お別れできそうである。
ボク達は、これを「みんなの7」にしたいと思っていたけれども、去年は、ボク達の記事、SM7のスタッフに書いてもらった記事しか載せることができなかった。今年こそ、と思ってみても、みんなで作ろうという意志がなければ、無理だと思う。 だから、この新聞「7」について感じたこと、載せたいことを寄せてほしいと思う。(SM7宛に出してくれればこちらに回ってきます)また、「7」を作りたい、と思っている方がいたら、一緒にやりましょう。こういう、みんなの協力があれば、きっと良い「7」が出来ると思います。
SM7と共に「7」を今年はよろしく、お願いします。(H.N)

編集後記

第一号、第二号、.....第七号ごすべての号のおもいでがありました。何を載せようかと考えた一号。夏休みで遠く離れてしまって苦労した二号。..... 冬休み前に、完成させようと頑張った七号。etc、今では、みんな楽しい思い出です。
この号の反省としては、記事が前からありながら、一部の記事を集めるのに苦労し、時間を食ってしまったこと。前、割り振りがまずくて読みにくかったとのことだったので、上から下、右から左へと読むようにしました。そのことについては、また考えたいと思っています。(H.N)

誕生日

 下記の、お二人が年を一つ取りました。松田さんは、明治74年、高橋さんは同82年生まれです。
     ○高橋千明氏  12月15日
     ○松田健一氏   1月1日