SEVEN

「スタジオ緑屋7」を聞いているぼくらが、取材し、編集した新聞です。
SM7をより楽しく聞くためにお役に立てば幸いです。

#1 1971/ 7/ 7

#2 1971/ 8/20

#3 1971/ 9/17

#4 1971/10/16

#5 1971/11/ 1

#6 1971/12/ 7

#7 1972/ 1/ 1

#8 1972/ 2/22

#9 1972/ 3/ 5

#10 1972/ 5/ 7

#11 1972/ 6/ 1

#12 1972/ 6/30

#13 1972/ 7/24

#14 1972/ 9/20

#15 1972/12/18

号外1,2 1972/3




我が心のTBCに戻る

-スタジオ緑屋7紹介 第2回-

スタッフ登場 第一回

北村 正路氏(チーフ)

■略歴
明治65年3月19日大阪府吹田市千里山に生まれる。
71年4月横浜市旭ケ岡小学校入学。
その後、大分県日出町日出高校。
上智大学新聞学科をへて、TBCに入社。
現在、SM7のチーフの任にある。

忙しそうな、北さんをつかまえて聞いてみた。
---SM7について・・・?
自分のやっている仕事については、あまりいうことがない。ただ、「良い番組だ!」ということは出来る。聞いた後、絶対損はない。
---「北さん」の恋愛は・・・?
熱烈な恋だったな。
---デートは・・・?(回数、場所)
限りないなあ。場所は名曲喫茶店とか、あと外苑かな?(特に新宿、渋谷、横浜がそうだったです。)
  ---プロポーズしたのですか?それとも・・・?
これはあまりさだかではない。色々とつきあっているうちに、結婚しよということになったんだなァ。
---幼いころ、何になりたかったですか・・・?
幼稚園のころ、電車の運転手。小学校、中学校では、医者。高校では、エンジニア。大学にはいってからは、新聞記者、放送MAN、アナウンサー・・・
---今の若者と昔の・・・?
今も、昔も若者に限っては、そんなには変わらないと思う。(A.H)

第5回 スタジオ緑屋7ファンの集い

SM7ファンが待ちに待った「第5回スタジオ緑屋7ファンの集い」は、8月26日午後1時から同6時までの5時間「西花苑」で行われることに決まった。 前回までは、室内の狭い所で行われたが、今回は、「あつまれやんぐ」仙台版が広瀬川河原「緑地公園」で行われ、一応の成功を見たので、それよりさらに広い「西花苑」でファンの集いを行うことになったものと思われる。 なお、会場までの、バスなどの交通機関は、SM7ファンの足を確保できるとあるスタッフが語っているので、その点は安心して来て下さい。 SM7ファンよ!集まろう。

2世誕生 松田尚登君

昭和46年7月14日、松田健一夫妻に、男の赤ちゃん尚登(ひさと)君が誕生した。 パパの第一声は「生まれたか」だったそうだ。 生まれたときは2800グラムで、標準よりやや軽めだったそうだが、50日目の9月1日には、体重、身長共に標準をこえているそうだ。 パパもママも我が子の生長を見て泣いて喜ぶ。 尚登君、パパにもママにも似ず、おじいさん似とか。 また、病院では、まわりの女の赤ちゃんが羨望の目で見つめていたとか。 これを話している間、松田さんの目尻はたれたままだった。

ボク達の広場

-夏休み、クラブ- <リクエストカードから>
長いはずの夏休みも残り少なくなりました。 休みの半分以上は、クラブ。 好きで入ったけれども、チートばかりダレちゃったァ。 合宿は楽しかったナ。 初めてで、ワクワクドキドキ(ガムのCMではないよ)今月20、21日に県体がありますの。 それで・・・私はまだ1年生。出場はムリですが、応援はやっぱりしなくちゃネ。 仙台に行くならば、当然、有名なSM7を見なくちゃ女じゃない(こんなうわさがあったっけ?) ま、仙台はいつでも行けるけど・・・私あまりゴマスレない!

-詩- 片思い

小さな私の心の中に
いつか咲いてたこの花を
貴方に教えてあげたのに
きょうもあの子の目を見つめ
フォークダンスの輪の中で
笑っているのは
貴方なのです

-川柳、短歌- 浪人哀歌

せみの声ふるさとの夢呼びおこす
反戦のデモあり我は予備校に
クレーン車の鉄高々と虹天に
近づききぬ君の横顔盗み見て心を援らすフォークダンスの日

PINK FLOYD

---ピンクフロイド、箱根アフロディーテ---8月6、7日にわたり箱根芦の湖畔。 成城学園乗風台にステージをつくりコンサートを行った。 総設備費5000万円、会場総面積190000平方米、出力300KW、人員960人、医師2名、看護婦2名、トラック2台他etc。 ---ニッポン放送調べ。 出演者、ピンクフロイド、1910フルーツガムカンパニー、バフィーセントメリー他日本側20グループ計23グループが出演。 入場者は2.5万人ぐらいではなかったろうか。 (A)メインステージとBステージの2つにわけて(?)コンサートをした。 Aステージでは外人アーティストが昇った。 Bステージでは日本のジャズ、ロックのグループの演奏が行われた。 なぜだか知らないけれども、最初はBステージの方が白けなかったので、見物客はのっていた。 Aステージでの日本のフォークシンガー等の方は最初から最後まで白らけきっていたようだ。 現在人気最高のピンクフロイドが来るというので、彼らは、ロックコンサートを目あてに集まって来た若者が多かったように思われる。 だから、Bステージの方がのっていたかもしれない。 ピンクフロイドと聞いても、よくわからない人もおおかったろう・・・ ここで、簡単に書いてみよう。といっても、僕だってよくわからないから、資料のある範囲で書いてみよう。 では、メンバーから。ディヴ・ギルマー(リードギター)華麗なテクニック、元々はファションモデル。 ニック・メイスン(ドラムス、パーカッション、ボーカル)アフロ的リズムに電気的な処理を加え、ユニークなサウンドを作る、建築学専攻。 リック・ライト(オルガン、ピアノ、ヴァォーカル)彼等のメロディーの中心的な存在。 ロジャーウォーターズ(ベース、ピアノ、ヴォーカル)電子音楽担当、建築学専攻。 ---ピンクフロイド---ノーマンスミスいわく、「ピンクフロイド」はロック・フォーク・ブルース・カントリーの混合音楽だと。 360゜サウンドを始めとして、総重量5トンもある音楽装置の使用により電気的効果を最大限に発揮して静かなイントロからハクリョクのあるクライマックスまで、人を幻想の世界へ送り届ける。 現代音楽の素材をフルに利用した頭脳的な演奏を彼等はしているということができるだろう。(K. S.)

LP評『BS&T 4』

今年2月に来日したBS&Tの待望の新作登場である。 「3」から、約一年ぶりである。来日時の記者会見では、来日以前に録音は完了していたらしいが、D.C.トーマスが」入れたという「ダウン・ソーロー」がないことから、後に少し手を加えたらしい。 注目すべきは、「洗礼者ヨハネ」を別れたはずのアル・クーパーが作・編曲していることであろうが、あくまで、作曲者としてのアルの能力を買ったもので、ヨリをもどすのではなかろう。 又、ギターのスティーブ・カッツの作品が3曲収められている。両面の最後が演奏物で同じ曲(ア・ルック・トウ・マイ・ハート)だが(勿論長さは違う)。 この辺は、「エリック・サティ」の主題による変奏曲で始まり「エリック」で終わった2枚目のアルバムを思い出させる。 「テイク・ミー・ユア・アーム」だけがオリジナルでない(オリジナルは「愛への賛歌」でヒット中のジ・アレー)。 しかし、彼らは完全に自分達のものとしている。やはり、ジングルにもなった「ゴー・ダウン・ギャンブリング」が一番気に入っている、のれる曲である。 ジャケットの点では、2作目は普通だったが、3作目では2つおり、4作目は、3つおり変形となかなか凝っている。 また中袋にメンバーの似顔絵が書いてあるにはもう心憎いばかりである。
今、これを書き終わって、もう一度聞き直してみたが、前作に比べて一回り大きくなった感じである。 最後に、よくシカゴと比べられるが、BS&Tのドラム、ボーカル・コロンビーの言葉でしめくくらせていただく。 「彼らとは個人的に知っている奴もいるし、別にライバル意識もない。しかし、彼らの真似をしていると思うな。」(A.K)

Cash Box

只今 急上昇! 丸印
@ スパニッシュ・ハーレム(アレサ・フランクリン)
A スマイリング・フェイセズ・サムタイムズ(アンディスピューティド・トゥルーズ)
B アンクル・アルバート(ポールとリンダ・マッカートニー)
C ゴー・アウェイ・リトル・ガール(ドニー・オズモンド)
5 テイク・ミー・ホーム・カントリー・ロード(ジョン・デンバー)

編集後記

第3号を発行することが出来てうれしく思っている。 前の1、2号に比べて、期間的にも早く出来た。 また、記事も沢山集まり、一部を削って載せたものもあった。 ただ、我々数人で書いた記事と、SM7の協力で得た記事しかなかった。 できるならば、皆さんからも、記事を寄せてもらい、それ中心の新聞にこれからして行きたいと思っている。 この号の反省は「2世誕生」の記事を載せるのが遅くなってしまい、ニュースといえるかどうかわからなくなってしまったこと。 ボク達の広場のスペースが狭くなってしまったことetc。次号は「ファンの集い」を中心にする予定です。(H. N)